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【フェーズ4|自分の言葉で安心を届ける】

【フェーズ4|自分の言葉で安心を届ける

フェーズ4は、
発達を心配する親御さんに安心を届けるための、最終段階です。

それは、
知識をそのまま伝えるのではなく、
自分の感覚や考え(アセスメント)にくぐらせて言葉にすること。

・「間違ったことを言ってはいけない」という役割に飲み込まれない
・伝えても、伝えなくても、落ち着いていられる
・自分の感覚を信頼している

そんな状態を目指します。


知識を「自分の言葉」にするということ

【フェーズ3|安全な場での練習】

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【フェーズ3|安全な場での練習】

発達を心配する親御さんに、あなたの見立てや発達段階にあった「からだあそび」を伝えるには、「安全な場での練習」が必要です。

① 現場ではできない練習

当然ながら、健診や相談の場で練習することはできないため、赤ちゃん人形を使ったり、自分の身体で赤ちゃんの気持ちになってみたりしながら、五感を使って体験することが必要です。

もし、ご自身のお子さんやご親戚、お友達の赤ちゃんに協力してもらえる場合には積極的に実践させてもらうと良いかと思います。

② 正解を出さなくていい
③ 間違ったことを言ってもいい

保健師としての責任感が強いからこそ、「間違ったことを言ってはいけない」「この一言で不利益が生じたらどうしよう」と慎重になってしまうことがあります。

このフェーズでは、親子さんがいない状態で、「正解を出さなくていい」「間違ったことを言ってもいい」そんな時間を意図的につくります。

④ 知識(これまでの経験)と感覚を行き来する

このフェーズは、知識(これまでの経験)と感覚を行き来する段階でもあります。

赤ちゃんの姿勢運動発達やからだあそびは、知識を頭に入れるだけでは、それを“自分の感覚”として使うことはできません。

自分のからだに落とし込めていないまま、方法だけを親御さんに伝えても、うまく伝わらないことがあります。知識と自分の感覚を行き来する時間が必要なのです。

また、「これまでの経験」と書いたのは、これまで乳幼児健診や相談にあたっていて「本当は、こう言いたかったけど言えなかった」「どう伝えたらいいのかわからなくて、悔しかった」というあなたの中のジレンマが赤ちゃんの姿勢運動発達やからだあそびを学ぶ原動力になると考えているからです。

様々な保健師さんをみていて、親御さんとのやりとりに悩んだことがある人や、親御さんや子どもたちの力になりたい気持ちが強い人ほど(その動機につながる出来事を経験している)、学びの意欲が高く、学んだ後もアウトプットする勇気があるように見受けられます。

もちろん、フェーズ2で書いたようにアウトプットの壁を感じる方は多いので、もう1歩が踏み出せないと悩んでいる方も含みます。

発達を心配する親御さんに安心を届けるためには、まずあなた自身が安心して練習できる時間が必要です。

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親と子が今もこの先も心でつながっていられますように。

願いというのは叶わなければ叶わないほど強くなるものだと気づいたのは、つい最近のことだ。

昨年は自己表現の学びというか、自己表現を深めることに時間をあてた。

表現したいことはあるけれど、これで誰に何を伝えたいの?と言われるとわからなくて苦しんだ。

私の表現はまだまだ自分本位で、自分が満たされたいだけの表現になっている。

表現しても表現しても自分が満たされないから、その段階から抜け出せないように感じていた。

これは表現しきらないと次のステップにいけないのかも…とインスタで表現してみているけれど、掴めるようで掴めていない感覚がしている。

とはいえ、自己表現を続けているうちにそろそろ子育てというか親子の話に関する表現もしたいなという気持ちが湧くようになった。

むぎゅハウスのインスタが急に私がピンクのドレスを着てお花に囲まれた投稿がたくさん出てきて、どうしちゃったの?と思った人もいるかもしれない。

いつもいいねをしてくれている人も離れていったというか静かに見てくれているのか反応に困っているのかそれはわからない。

「素敵」だと個別にメッセージをくれた人もいる。こういうのは孤独だから、反応が有り難くもある。

お花に囲まれたピンクのドレスの私は、役割に縛られている人にもしかしたら縛られているのではなくて、自分が自分を縛っているのかもしれない。少しだけ一緒におろしてみない?というメッセージである。

10歳の頃に両親が離婚して、離婚が成立してすぐに弟が生まれている。朝しか帰ってこなかった母は父以外の男と不倫して、弟を産んだ。

昼も夜も母がずっと働いていたと思っていた私は、家を守り、学校では優秀であり続けた。「裏切られた」と思った。

親に縛られていただけではない。知らず知らずのうちに妹や弟を守るために自分を縛っていた。親代わりに弟の修学旅行のお金や部活の道具のお金を払い養った。

役割を背負いすぎていたし、それは妹や弟が結婚してからもその役割を終わらせることなく、引き継いでいた。だから、これに気づいた時は目からウロコだった。

そんな私がどうやって役割をおろすのか。これは頭の中だけではなく、体験をもって表現することがすごく効果的だった。

勇気のいる構成で、でも本当はやってみたかった羨望の姿で。投稿するのはもちろん勇気はいったけど、毎日毎日、目にしていたら慣れてくる。でも恥ずかしい。でも投稿を続けるの繰り返しだった。

そのうちに本来のむぎゅハウスの活動である子育て支援の投稿に戻りたいと思った。でも世界観は崩したくない。元には戻りたくないというか、もうここまできたら戻れないでしょという気持ちだった。

そこで出てきたのが、

親と子が今もこの先も心でつながっていられますように。

という願いだ。

私は親と繋がれなかったし、この先も繋がる可能性は低い。もう今度会う時はお葬式かもしれないし、案内されなかったら、もう二度と会うことはない。

親と繋がれている人や後悔している人は会える時に会いに行ってみなよと言うかもしれない。

許すと楽になるかもしれない。

でも今は選択肢にはない。

そんな私が子育て支援をしているのは、やっぱり自分本位なのかもしれない。自分ができていないのに願うなんて、おこがましいのかもしれない。

それでも、叶わなかったから願いが強くなっていることに気づいた。私がむぎゅハウスを続ける理由にもなっている。

それなら、堂々と願いに生きる自分でいたいと思った。自分本位から社会に祈る私の願いだからだ。

私のように自身の親子関係が築けなかった人でなくても、子育てが始まれば孤独に感じたり、不安に思うことがあるのは仕事をしていて感じている。

だから、私はむぎゅハウスに来てくれた人にはいつも誠実でいようと努めてきた。これからもそうだと思う。この願いに気づいてからは、より一層そう思うようになった。

自己表現を深める前は、そこが揺らいでいて、うちは子育てのイベントではないと心が抵抗していた。だから子育て広場のベビーマッサージもやめたし、名称をタッチケアにした。

でもそれだけでは本質は変わらなかった。

これからは、普段は平然と暮らしているけれど、本当は私と似たようなことを抱えている人とも出会いたい。これは至難の業のようにも思うけど、きっと知らず知らずのうちに出会っていて、実は私も…ということが起こる。

と決めたら、私は願いに生きながら自己表現を続けていくことに尽きる。

正直、経営には頭を悩ませているが、願いに生きると決めたら、どんなにしてでもむぎゅハウスを守っていきたい。

今はそう思っている。でも願いは変化する余白ももっている。絶対何がなんでもと、りきむ必要はない。

でも私は堂々と願いに生きる。

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【フェーズ2|現場で伝える不安・迷いに向き合う】

フェーズ2では
「知識は得たけれど、これでいいのか」
「間違ったことを言ってはいけない
「どう伝えるか(どういう言葉でどういう順序で伝えるか)で止まる」
ということが起こります。

知識は得たけれど、自分のアセスメントに自信がもてないという段階です。

なぜこういったことが起こるのでしょうか?

まず、保健師は「個人の助言者」であると同時に、行政・制度・地域を背負った立場でもあります。

だからこそ
「間違ったことを言ってはいけない
「この一言で不利益が生じたらどうしよう」
という慎重さが生まれます。

しかし、これは専門職としての倫理感覚がきちんと育っているサインでもあります。

地域看護学の視点でみると

地域看護学では、
「正解を教える人」よりも
「対象者と一緒に考え、選択を支える人」
であることが重視されます。

しかし現場では、

・保護者は「答え」を求めているように見える
・時間は限られている
・他職種・制度との整合性も必要

という条件が重なり、
“伴走したい”気持ちと“指導しなければ”という役割意識がぶつかります。

この葛藤が、

どういう言葉で
どういう順序で
伝えるかで止まる

という状態を生みやすくします。

つまりフェーズ2は、
地域看護学的な理想と、現実の制度・役割の狭間に立っている段階です。

公衆衛生看護学の視点でみると

公衆衛生看護学では、「個別」だけでなく、

・集団への影響
・再現性
・公平性

を常に視野に入れて判断します。

そのため保健師は無意識に、

・この説明は他の家庭にも当てはまるか
・偏りや誤解を生まないか
・個人的価値観を押し付けていないか

をチェックしてしまいます。

結果として、
アセスメントはできているのに、
言葉にする手前でブレーキがかかるということが起こり得るのです。

これは、公衆衛生看護学的な視点が内在化している(自分のものにしている)からこそ起こる「慎重さ」です。

フェーズ1でお伝えした“経験の不足”と、専門職としての責任の重さが交差する段階とも言えます。

個々の保健師の問題ではない

私が皆さんにお伝えしたいのは、「知識を得ても伝える段階で止まってしまう」のは、個々の保健師の問題ではないということです。

時代の流れの中で、地域保健が合理化、効率化された結果、保健師が「診断ではないアセスメント」を身体で学ぶ機会が減少しました。それは意図的にそうなったわけではないことはご理解いただけると思います。

専門職としての倫理と責任を、真剣に引き受けている保健師さんほど、このフェーズでのつまづきは苦しいものかもしれません。

でも、私はそんな保健師さんにこそ、赤ちゃんや子どもたちの発達のことを親御さんにお伝えしていただきたいと切に願っています。

では、どうすれば発達を心配する親御さんに、あなたの見立てや発達段階にあった「からだあそび」を伝えられるのでしょうか。

また次回、お伝えしたいと思います。

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【フェーズ1|基礎を学ぶ】

① 姿勢運動発達の知識を得る(発達の特徴を知る)

姿勢運動発達は、看護師・保健師の養成課程ではほとんど取り扱われません。
小児看護学などで学ぶのは、主に発達のマイルストーンです。そのため、卒業後に改めて知識を得る必要があります。

② 目の前の赤ちゃんの発達の状態から、その子の発達段階を把握する(アセスメント)

③ その子の発達段階に合わせて「からだあそび」を選ぶ・伝える 

保健師になって1〜2年目は、知識を得ることが中心になると思います。
しかし、知識を得るだけでは、発達を心配する親御さんに「安心」を届けることは、本当の意味ではできません。

それはなぜでしょうか。

②のアセスメントができなければ、③の段階で適切なからだあそびを選ぶことができないからです。
見立てがずれたままからだあそびを伝えても、赤ちゃんの動きは出やすくなりません。

だからこそ、①でも③でもなく、②のアセスメントがいちばん大事なのです。

私が以前から感じているのは、小児科へのアクセスがしやすい自治体ほど、アセスメントを飛ばしてすぐに受診を勧める傾向にあることです。

それが良くないとは思っていません。むしろ、必要な対応だと思います。

ただその一方で、「次の機関へつなぐこと」が保健師の役割として大きな比重を占めるようになり、アセスメントをする意識や機会が、相対的に減ってきているのではないかと感じています。

以前、私の講座を受けてくださったベテランの保健師さんが、
「言われてみれば、昔に比べて保健師が赤ちゃんに触れることが減っているかもしれない」と話してくださいました。

自治体によっては、乳児健診が医療機関へ委託され、保健師が赤ちゃんに触れ、五感を使ってアセスメントをする機会が減っています。

機会が減るということは、赤ちゃんに触れて必要な確認や評価を行うことに不慣れな保健師が増えている、ということでもあると思います。

そのことが、「赤ちゃんをアセスメントする」という行為そのものへの自信のなさにつながっているのではないでしょうか。

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たくさん学んだはずなのに、自信をもって伝えられない

開業してもうすぐ8年。
これまで県内各地の保健師さんに赤ちゃんの発達についてお話してきました。

開業当初から繰り返し学んでくれている保健師さん。
「たくさん高松さんから学んだはずなのに、いざ親御さんの前で学んだことを伝えようとすると『これでいいのか』と思ってしまって自信をもって伝えられない」

そのような気持ちを話してくれました。
一生懸命、学び続けておられるのに、そんな気持ちにさせてしまってなんだか申し訳ないなという気持ちになりました。

でも、それも私が赤ちゃんの発達について伝え続けてきたからこそ起こった出来事なのだと思いますし、私の活動も次のフェーズに入ったということなのだと解釈しました。

そこで、私の講座を受けた方が、
「今、自分はどこにいるのか」「次に何をすればいいのか」が見えるように、フェーズにしてまとめました。

やはり知識を得るだけではなくて、どのようなプロセスを経て何を目指していくのかということも、私と皆さんとで言葉の高さ合わせをしておいた方が結果的に学んだ知識が親御さんに届きやすいのではないかと思いました。

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次回から詳しく書いていきますね。

 

私が素材あそびをしている理由 ~子どもが子どもの役割をおろすこと~

子どもは本来、親のことが大好きです。

親が元気がないように見えたら笑わせようとするし、
親が熱を出せば、いつもはそんなことをしないのに、急に大人びたりもします。

子どもは親が大好きだからこそ、
親のために「いい子」でいようとします。

これを読んでいるあなたは、どんな子どもでしたか。
親のことが好きですか。

私は親のことが大好きでした。
朝も夜も働きづめの親の助けになりたい、
心配をかけたくない。
そんな思いから、家でも学校でも「いい子」でいました。

学校で優秀でいることが、
親を助けることだと本気で思っていました。

けれど、11歳のある日、
母親が私に嘘をついていたことが分かりました。

「裏切られた」と感じるほどの嘘でした。

それでも私は母のことが大好きだったので、
思春期の間も「いい子」で居続けました。

高校は進学校へ、
大学は手に職がつく看護大学へ。

家族が大好きだった私は、
進路もまた、家族のために、
そして人の役に立ちたいという思いから選びました。

転機は19歳の春でした。

当時付き合っていた彼氏に、
「複雑な家庭の人とは、これ以上付き合えない」
そう言われたことがきっかけで、

ずっと「家族を守る」という役割を背負い続けてきた私の心は、
一気に崩れ去りました。

子どもの頃から、子どもにとっては重すぎる役割を背負わざるを得なかった私は、
20歳を目前にして、生きる意味を見失いました。

友達や先生に支えられ、なんとか大学は卒業できました。
けれど今度は、就職でつまずくことになります。

行く先々で上司と折り合いが合わず、退職。
それは30代後半に差しかかるまで続き、
私はすっかり自信を失っていました。

今振り返ると、
「親とはこうあるべき」「上司とはこうあるべき」
という価値観が、あまりにも強かったのだと思います。

そして、親との信頼関係の欠如が、
上司をはじめとした人との信頼関係の欠如へと
つながっていたようにも感じます。

ずっと「いい子」でいたひずみが、
生きづらさを濃くしていきました。

30歳で第一子を出産。

今度は「親としての役割」が、
重くのしかかってきます。

人と信頼関係を築くことが苦手だった私は、
子育てにまつわる人間関係でも、常に緊張状態でした。

保健師としての役割、
妻としての役割、
親としての役割。

どれも背負いきれず、自暴自棄になっていました。

役割は、ときに生きがいになり、
ときに重荷になります。

特に子ども時代の役割は、
親が大好きだからこそ、
知らず知らずのうちに背負いすぎてしまうことがあります。

「真面目で責任感が強い子」ほど、
物事を感じ取る力が強いがゆえに。

役割を背負いすぎ、
役割をおろせなかったひずみは、
大人になってから、生きづらさとして
SOSを出すようになります。

そんな経験があるからこそ、
私は素材あそびを通して、
親子それぞれが「役割をおろす時間」を提供しています。

子どもが、
本来やりたいことを、やりたいようにする。
それが、子どもが子どもの役割をおろすことだと
私は思っています。

そして、
親も「こうあるべき姿」を教えない時間をもつ。
それが、親が親の役割をおろすことだと思っています。

なぜ素材あそびなのか。

それは、
「やってはいけないこと」ができるからです。

ぐちゃぐちゃにする。
散らかす。
破る。
投げる。
壊す。

普段なら、親に怒られることも、
素材あそびでは許されます。

子どもは「いい子」でいる役割をおりて、
自分を解放できます。

そして、
それを親が怒らなくていい。
むしろ一緒に遊ぶことを勧める。

そんな場が、むぎゅハウスです。

もし、あなたが子どもに、

・自分で考え、自分で行動できるようになってほしい
・人への思いやりをもち、協力しながら生きてほしい
・しんどいときに「助けて」と言える人であってほしい
・自分のことを好きでいてほしい

そう願っているのであれば、

子ども時代は、
「自分の感覚を存分に使う遊び」を、
「ゆっくり・じっくり・たっぷり」
子ども自身が満足するまで、時間をとってあげてほしいのです。

そんな思いで、私は素材あそびをしています。

子どもが子どもの役割を、
親が親の役割を、
あえて「果たさない」時間。

役割の多い今の時代だからこそ、
その時間が必要だと感じています。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。